ツムラ_メモ

大失敗を繰り返す。

ラーメン二郎品川店

月曜日はとある飲み会を断って作業に没頭していた。
夕方になり軽く残業して帰る頃には腹ペコだった。
夕飯のメニューを考えながらエレベーターを下る最中、天命が下った。
「そうだ、二郎行こう」


二年前東京に来てからそれなりのラーメン屋を巡ってみたが、正直どれも口に合わない物が多かった。
こんなものなのかよ、と諦めかけていた時にラーメン二郎と出会った。
衝撃だった。
ラーメンの欠点なんていくらでも言えるけど、そもそもラーメンじゃない二郎をどう評価したらいいのだろう。
初めて行った二郎は忘れもしない新宿店だった。
二郎の中では微妙と言われることが多いらしいが、自分には十分に脅威だった。
ラーメンの地獄とそこから見える可能性を見た気がした。


東京のラーメンは高い。
また、替え玉という概念が少なく、大量に食べようとすると大盛りになってしまう。
大盛りにすると何が起こるか?
当然麺が伸びる。
対策として伸びにくい麺を使わざるを得なくなり、麺の歯ごたえが悪くなるか太麺になってしまう。


では、二郎はどうか?

答え「そんなものを気にしていては死ぬ」


二郎は地獄だ。
だが、久々の二郎で、しかも未知の品川二郎に浮き足立っていて、そんな基本的なことを忘れてしまっていた。
まずは列に並ぶ。とにかく並ぶ。そういうビジネスモデルなので有無を言わさず並ぶことになる。

品川二郎は品川駅の近くでビジネスマンが多い。そして、プロが少ないのか回転率が悪い。
到着後一時間近く店の外で待ち続けることになった。
しかし、ただ並んでいるだけではダメなのだ。
自分の体調を計算し、メニューとトッピングを適切に計算しなければならない。

そして、食券を購入するフェーズへ。
メニューのボタンを押した瞬間、自分に押し当てた銃の引き金を引くかのような衝撃と後悔が生まれるだろう。
ここでミスを犯した。
二郎であることを忘れて、「とりあえず大盛り」という愚直な考えで引き金を引いてしまったのだ。
紫色のプラスチックの食券という死刑宣告書がコトリと音を立てて吐き出された。

そしてカウンターに食券を置き、席に座り水を飲みながら待つ。
周囲の人間が黙々と食べ続ける中、店員の作業を見つめるだけの精神的に長い時間が続く。
だが、気を抜いてはいけない。突然店員に声をかけられるからだ。
「ニンニク入れますか?」と。
この瞬間だけが、二郎というシステムで人との交流が生まれる。
だが、瞬間だ。この瞬間を逃すとトッピングがオーダーできない。
「アブラカラメニンニクマシ」
大盛りのミスを帳消しにすべく必死に演算した答えを返す。
野菜を増やすと単純に胃袋の許容量を超える。
とにかく味をコク、そしてニンニクで味を変えつつスタートダッシュに全てを掛ける。
これ以外に生きて愛しの我が家へ帰るすべはない。


そして、二郎が来た。
全ての思考を停止させ、胃に叩き込む。

固めの麺でも、噛まずに飲み込む。
野菜も飲み込む。
スープは絡めるだけ、飲んではいけない。
飽きたらニンニクを混ぜる。

どうしてここにいるんだろう?
誘われた飲み会にいけばよかったんじゃないだろうか?
生きているってなんて罪深いんだ。
豚さんごめんなさい。
世界が飢えているのに、何をやっているのか?
これは死なない為に必要な食事という行為ではない。

麺が喉を通らない、已むを得ず噛む。

この後の人生で何度二郎を食べるのだろうか?
社会人になって何をやっているのだろうか?
これから先の人生をどうやって生きていけばいいのか。

ニンニクでむせた。

生きるって何だろう?
動物は何のために生きているんだろう?
二郎を食べ終わったら何をしようか。
せめて人間らしい行いを。


そして地獄を生き延びた。
無我夢中だった。
達成感はない。
スタートダッシュを終えてからの戦いは記憶にない。
最後の麺を食べきった頃に見えていた気がする悟りのような答えのようなものも二日経った今となっては思い出せない。
地獄と天国は似ていると思う。